らもはだ日記

かまやつひろしさんとのライブイベント「らも MEETS THE ROCKER」を終えた、らもさん。
大麻での逮捕前後、かなりひどくなっていた躁転状態の中島らもに振り回されっぱなしだった我々。ムッシュとのライブを成功させて満足したのか、ここにきて躁状態が収まってきた。
プロデューサーのダ・ヴィンチ誌のキシモト嬢に「今度のゲストに忌野清志郎、内田裕也を呼べ!」と無茶ぶりを所望したりもしなくなった。
ここからラストまで「らもはだ」は、「知る人ぞ知るいろんなジャンルの専門家」を迎えて、有名どころのゲストとのトークだけではないまた別の展開を見せようとしていた。


2004年3月6日。

ゲストはホームレス研究家で「日本一アブナイ特殊芸人」を名乗る山田ジャックさん。
さすが本物の現役ホームレスを相方にしてM―1グランプリに出場しただけある。今の釜ヶ崎に入り込んでカラダを張って仕込んできたトークネタのオンパレード。
「お金を渡して右手を差し出すと、ワンショットだけキメてくれるコンビニエンスなシャブ売りBARがあるんですわ」
「釜ヶ崎の夏祭りで行われる相撲大会の優勝賞金はスイカ12ダース。それを賭けて、目潰し、金的蹴りなんでもアリなアルティメットな戦いになってるんです」
「その大会に出て準優勝してから釜ヶ崎で認められましてん。ちなみにカマでの通名は大会の時の四股名の“小錦”」
「盆踊りもあるんですけど、酔っ払って10時間以上も踊り続けるトランス河内音頭のせいで、シラフで意識が飛びます」

らもさんも負けじと
「事務所近くのパスタ屋に入ろうとしたら『乞食は出て行け!』って言われた」
ホームレスに間違えられたトホホなエピソードで対抗。
こんなにホームレスをテーマに長い時間話したのは初めてであった。内容的に言えば、これまでの「らもはだ」で一番アブナイ回だったのかもしれない。


2004年5月8日。

世界中の民族音楽を採集している音楽プロデューサーの星川京児さんがゲスト。
自宅に旅先で買ってきた民族楽器が溢れかえっているらもさんと話が合いまくり。
楽屋入りしてから1時間半、本番のステージで2時間半、まさにノンストップで2人で珍しい民族楽器についてどっぷりと音楽談義。
オレも司会のアトムさんもあまりにもハイブロウかつアカデミックな内容についていくだけで精一杯。

アフリカのある部族が、毎日の排泄行為をお互いに音楽として鑑賞しあう習慣がある!
という話に爆笑。天然の下剤を飲んでコントロール。演奏時間になるとケツを並べて「いっせーの、せッ!」でおっぱじめるんだと。
世界は広い。

星川さんは世界中の地酒にも詳しく、とにかく大酒飲みらしい。楽屋で肝臓の数値ガンマGTPの話になり、オレが「最近、300くらいイッてて医者に怒られてる」ってこぼしたら
「私は今、600超えている。300くらいならまだまだ飲めるよ」
と、励まされた。
横で聞いていたらもさんも。
「ボクなんか、1000までイッたことあるよ」
それを聞いていたキシモト嬢まで。
「私も今、400くらいある!」
この人たちに健康話をしてもムダであった。
3人とも普通なら入院ものの数値である。本当にどんな鉄の肝臓してるねん!


アカデミックな「らもはだ」はさらに続く。
2004年7月10日。

楽屋に入ったら、ゲストの「ひょうたんオーケストラ」の三木俊治さんがもう来ていた。
聞けばその日、関西は凄い豪雨で新幹線が徐行運転中。とりあえず、ホームに入ってきたのに飛び乗ったら、思いのほか早く到着してしまったらしい。
話好きな方で、こちらがホスト側なのにあれこれ聞かれて、まるでインタビューされているみたい。

自作のひょうたんで作った楽器を爪弾きながら本番スタート。なんと三木さん、らもさんの自宅から歩いて10分のところに住むご近所さんで、外国で買った壊れたシタールの修理を頼んだりする仲であったのだ。
三木さんの「オーケストラにおける楽器別性格」って話。気さくなのは管楽器って説に納得。だって、三木さんの専門が管楽器。楽屋でそこにいるみんなにお茶をついで回ったゲストは三木さんが初だった。それ、気さくすぎますって!
最後は、三木さん自作のひょうたんで作ったフルートとらもさんのギターとのセッションタイム。とてもやさしい音に心が癒される。

フルートと言えば、日本の古いロック好きならジャックスの名曲「からっぽの世界」を連想してしまうだろう。
つい「これって明るいジャックスみたいですね」って口走ったら、らもさんも「オレは早川義夫か!」と返してきた。
客席、意味がわからずにシーン。
いや、ジャックスのリーダーが早川義夫で……って説明するのも野暮なんで、そのままスルーしましたが完璧にスベった。


三木さんとのトークを終えて。
打ち上げはいつもの「上海小吃」。
犬鍋をつつきながらバカ話。
らもさん、いつも打ち上げはこの店で切り上げて、すぐにホテルに帰るのだが。
「もう1軒行こう!」
突然珍しいことを言い出した。

今夜は、やけにテンションが高いな。
結局、ロフトプラスワンのプロデューサーのサイトウさんの計らいで、閉店したプラスワンに再び舞い戻って店を開けてもらい、全員で飲み直すことになった。
ワイワイと盛り上がる。
すると途中から、らもさんがリリパット・アーミーの昔話をし始めた。
「そうそう、一回目の公演の時、客が押し寄せて、扇町ミュージアムスクエアの舞台の見えへん柱の後ろにまで客を入れたなあ」


みんなは気がついていなかったが。
オレはらもさんのその話を聞いてものすごく驚いていた。


だって、らもさんからそんな風に「過去を懐かしむ昔話」を聞いたのは初めてだったからだ。アホなエピソード話絡みで昔のことを面白おかしく話すことはあっても、絶対に「いやあ、昔は良かったなあ」ってニュアンスでの話は皆無。
聞いたことが無かった。
「え、中島らもが懐かしトークすんの!?」
ショックだった。その時に感じた妙な違和感を今も覚えている。
「全ては後で考えてみれば」なのであるが、この日のらもさんはいつもと違っていた。


穏やかに穏やかに過ぎていく楽しい打ち上げの時間。
でも、でも、でも。
なんなんだろう、このザワザワする気持ち。
結果的にこれが、らもさんと話した最後の夜になってしまったわけであるが。
漠然とした違和感を抱えたまま、らもさんのリリパット・アーミー時代の昔話を聞いていた。

(つづく)