らもはだ日記

1985年10月。

毎週毎週「なげやり倶楽部」の会議が終わった後、会議に参加していたスタッフで飲みに行く流れが定番になっていた。
会議が終わるのは土曜の夕方、行く店も決まって梅田の「ぜんべろ居酒屋」正宗屋。
酒を飲んでは、食った以上にゲロを吐くオレはみんなから、いつしか「ゲロ吐き文殊」と呼ばれるようになっていた。
金魚のフンのように毎日毎日、らもさんの後ろにくっついて回ってタダ酒をあおる日々。
帰れないので、結局、らもさんの家がゴール。

13歳の年の差はあったが、ローリング・ストーンズ好きという共通点があった。らもさんから、キース・リチャーズが如何にラリりの薬物中毒かって話をよく聞いた。
「コカインのやり過ぎで体がアカンようになったキースは一回全身の血を輸血して入れ替えてるんよ。病院から出たキースの第一声が『あー、生き返った。これでまたクスリが出来る!』だったんだって。クックックックッ」

2人で飲んでいる時の話題は決まってロックの話。らもさんの家で、ストーンズのアルバムを聴きながら日本酒の剣菱をちびちびと飲む。
中でも、ストーンズが10分以上もだらだらとルーズなブルースをジャムってるだけの曲「ゴーイング・ホーム」がお気入りだった。
「こいつら、ホンマに下手っぴやろ、クックックッ」
確かにビートルズのタイトな演奏と比べると大人と子供くらい違う。ストーンズの演奏はとことん荒くてグダグダ。
らもさんとオレとの13歳の歳の差もストーンズという共通言語があれば大丈夫であった。
ストーンズのリーダーだったブライアン・ジョーンズがモロッコの民族音楽を現地で録音したソロアルバム「ジャジューカ」を聴かされたのもこの頃だ。

ブライアンが謎の変死を遂げたあとに発表されたいわくつきのアルバム。中に入っているのはロックンロールではなく、呪術的な民族音楽。
らもさんは、カセットテープで持っていた。
カセットのヒスノイズの向こうから聴こえて来る黄泉の国の音楽。
どこから手に入れたのか、中島家にあった睡眠薬の錠剤。
「これ、飲んで聴いたら効くよ」
カセットデッキにテープをガチャリとセット。
日本酒と一緒に流し込んで爆音で聴くブライアン・ジョーンズの「ジャジューカ」ほどトリップに最適な音楽はない。
頭がトロトロになって、まるで自分が録音現場にいるかのように鮮明に細かい音が聴こえてくるのであった。

一緒に日本のロックも聴いていた。
その頃、らもさんに教えてもらったのが村八分。
天才ボーカリストのチャー坊を擁し、スーパーギタリスト山口冨士夫さんがいた日本ロック界伝説のグループ。
らもさんがフーテンをしていた若い時分に一度、その山口冨士夫が飲んでいるのに出くわしたらしい。古いバーで、酔ってトイレへ行こうとしたら床を踏み抜いてしまい、足がそのまま抜けなくなった。
「鮫肌、その時、山口冨士夫は何て言ったと思う?」
「何て言ったんですか?」
「周りの奴らに向かって『早くなんとかしてくれよ~』って言ったんや、クックックッ」
世間の常識からすれば「甘えん坊で何てダメな人」ってエピソードなのだが、ギターを弾く以外何も出来ないロックンローラーとしては100点満点の答え。この話もよく聞いた。

晩年のロックモードのらもさんは全身黒ずくめにドクロをあしらった服で完全に山口冨士夫、キース・リチャーズのファッションの影響下にあった。ことロックに関してはあくまでもオールドスタイル。いって憂歌団まで。ピコピコするテクノなんて絶対に聞かなかった。
付き合ううちに、らもさんの好きなロックのツボがわかってきたので、当時、最高にイケていたルースターズのファーストや、鮎川誠のアルバム「クール・ソロ」をダビングしたカセットテープをオレの自宅から持参してだらだらと酒を飲みながらリビングで聞いた。
どちらもストーンズがお手本にしていた古いリズム&ブルースをディープに研究してアップデートしていたミュージシャンである。
最新のロックに疎かったらもさんは、凄く喜んだ。
特に鮎川誠の最高のロックチューン「デッド・ギター」がお気に入りで、後に、自分のバンドでもカバーしている。
ルースターズのボーカル大江慎也の書く歌詞。

♪朝から晩まで 錠剤ばっかり飲み続け

この部分に爆笑していたのを覚えている。
逆にオレの好きなパンクロックについてはセックス・ピストルズだけしかピンと来ていないようだった。
元祖日本のパンクロック、アナーキーやザ・スターリンを聴かせても「過激な歌詞なんてとっくの昔に村八分が全部やってしまっているよ」とバカにされた。
1979年、アナーキーのライブを大阪のバーボンハウスに見に行って、ボーカルの仲野茂がポゴダンスしながら歌っているのを見て「あ、オニギリが跳んでる」と思って即帰ったという。確かに仲野茂はパンクにあるまじき小太り体型。顔も丸くてオニギリっぽかった。小太りのロッカーなんてらもさんのロック美学の中では許せない存在だったのであろう。

興に乗ってくると、らもさん家のリビングでギターを持ちだしてのジャムセッションが始まる。オレは楽器が出来なかったので歌うと言うより、らもさんの歌に合わせてコーラスをがなるだけだったが。
ビートルズ、ストーンズ、キンクス。ブリティッシュ・ロックの王道のビートナンバーをガンガンに歌う中島らも。
いつの間にかボリュームがどんどん上がって。深夜の大ジャムセッション大会に。
「中島さん!何時だと思ってるんですか!」
いつも隣の家から怒鳴り込まれて、オシマイ。

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