10/19 更新
「らもさんが、死んだ」
「らもさんが、死んだ」
2004年7月27日。
番組の構成会議の最中に鳴った携帯電話。
着信「キッチュ」。
悪い予感がしたが、すぐに出た。
電話口の向こうで一呼吸置く気配がして、松尾貴史のよく通る声が、中島らもが逝ってしまったという事実を一番簡潔な形で伝えた。
すでにここまでの経緯は聞いていた。
三上寛さんとあふりらんぽのライブにギター持参で出かけて行き、飛び入り。何曲か歌って打ち上げで酒を飲んだ後、どこかのバーで酔っ払って階段から転落。頭を打って意識不明に。
後で、あふりらんぽのメンバーのオニさんに聞いたのだが、自分たちの出番が来たのでステージに出たら、もう先にらもさんがエレキギター片手に「さ!今からセッションしようぜ」と言わんばかりにステージの中央に立って待っていたという。飛び入りのくせに主役のバンドの許可もなく先に「ステージを温めておきました」って。図々しいにもほどがあると苦笑いだったらしい。
ここんとこ、あちこちの知りあいのミュージシャンのライブに出向いて行っては飛び入り参加していたという、らもさん。
50歳を機に、本業の小説家でも「もうエンターテイメントは書かない」宣言。好きなことだけして生きていくと言っていた。
この前、歌舞伎町ロフトプラスワンでオレ鮫肌と中島らも司会で行われたトークイベント「らもはだ」からわずか5日後。
そのまま、7月26日、死亡。
死因は、脳挫傷による外傷性脳内血腫。
「もしかしたら、ヤバいかもしれん」
数日前にキッチュさんからの電話で聞いていた。中島らもの不肖の弟子を自認する松尾貴史ことキッチュさん。頭をカチ割ったまんま昏々と眠り続ける中島らもを前に、オレもキッチュさんもどうすることも出来ない。
前回の「らもはだ」の最後、ステージで、自作の代表曲「いいんだぜ」を歌うらもさんの姿が頭の中にフラッシュバックする。
ゲストを迎えての恒例の弾き語りタイム。
「この曲、CDにもしてないのに徐々に流行ってきてるんや」
ポロンポロンとステージでギターを爪弾きチューニング。
照れ笑いしながら、歌い始めた。
♪いいんだぜ
いいんだぜ
いいんだぜ
君がドメクラでも
どチンバでも
小児マヒでも
どんなカタワでも
いいんだぜ
君が鬱病で
分裂で
脅迫観念症で
どんなキチガイでも
いいんだぜ
いいんだぜ
いいんだぜ
いいんだぜ
調子っぱずれな歌声。
中島らもが死んだ?
本当に?
その日の夜中、松尾貴史とバーで合流して、2人で献杯。静かに冥福を祈った。
ニュースを聞いて、心配した友人たちから次々に電話。
中でも、うちのバンド捕虜収容所のベースのフクイが言った言葉が忘れられない。
こいつも、ある朝突然、鬱に取り憑かれた。
サラリーマンだったのだが出社拒否に陥り、マイカーに乗っては街中をグルグルと走り回りながら「どこのガードレールに飛び込んでやろうか?」と毎日毎日自らの死に場所を探す地獄のような日々。
そんな時、らもさんが鬱病体験を書いた本「心が雨漏りする日には」に偶然出会い、「鬱病はクスリを飲めば確実に治せる」と断言するこの一冊のおかげで、急いで医者にかかってなんとか助かった。
らもさんと同じ鬱病に悩み、らもさんの本を読んで、その病とのつきあい方を学び、らもさんのことを「命の恩人」と呼ぶフクイが、しみじみと呟いた。
「鬱やって、躁やって、アル中になって。
むちゃくちゃ大変な思いをして。もしかしたら、神様がシンドイ思いすんのはもうそこらへんでええんやでって、許してくれはったんかもしれへんで」