らもはだ日記

2002年7月13日、「らもはだ」第五回。
前回の井筒監督以上に濃ゆい、らもさんのコピーライター仲間の盟友がやって来た。仲畑貴志さんだ。

まずは、仲畑さんとらもさんの出会いの話から始まった。
2人で名古屋のテレビで生放送の深夜番組に出て、流れで飲みに行ったらしい。仲畑さんが選んだ店がなぜか雑居ビルの中にある怪しいゲイバー。
「仲畑さん、ここ暴力バーかもしれませんよ?」とらもさんが心配して聞いたら仲畑さんはこう返したという。
「暴力バーだって、金払えばいいんだろう。オレ、金持ってるもん!」
らもさん、その物言いのあまりのカッコ良さに痺れてしまったんだと。

客席からも「かっこ良い!」の声が飛ぶ。
こうなるとオレも聞きたくなる。
「その暴力バーに入って2人はどうなったんですか?」
「入って行ったら、さっきまで田んぼで農作業してたようなガッチリ体型のオカマが出てきた。で、気がついたらそのオカマとチークダンスを踊ってたんだよ。酔ってたのかなあ?」
らもさんも一緒に踊ったらしい。
「朝の6時くらいになるとさ、オカマのサガで髭が生えてくるねん」と、らもさん。
初対面から暴力バーでオカマとチークダンス!それが、仲畑貴志と中島らもの出会い。

さらに、京都の祇園で2人で飲んだ時。
先輩の仲畑さんが行く先々の飲み屋で支払いを全部してくれていたのを悪いと思ったのか、最後に入った餃子屋でお勘定の際に伝票を持って決然とレジに行こうとしたらもさん。でも、餃子屋だから床が脂でヌルヌル。思いっきり滑って頭をぶつけて血まみれになってしまった。
すると仲畑さんがポケットからハンカチをソッと差し出して、ひと言。
「拭けよ」
そのダンディさに「もうこの人になら抱かれてもいい」と思ったというらもさんの話にお客さんも爆笑。
「おしりだって、洗ってほしい」「目の付けどころがシャープでしょ」をはじめ数々の大ヒットコピーを連発してきた超一流コピーライターは、中島らもも惚れるオットコ前であったのだ。


そして、仲畑さんの活躍する広告業界の話へ。
「薬のCMで『世の中、バカが多くて疲れません?』ってのをやったんだけど、三つくらい抗議の手紙がきて『お利口』に変えたんだよね」
「それって当時、話題になりましたよね」
「これもかなり昔だけど、野坂昭如さんに出てもらって『ソ、ソ、ソクラテスかプラトンか』ってCMをやった時も抗議がきたよ」
「どんな抗議なんですか?」
「なんて言うの、どもり?そうなったらもう何でもありでしょ。もの凄く想像力の豊かな人だなあって。そんなことこれっぽっちも考えてないわけだから」
テレビ業界も放送禁止用語には厳しいのだが、広告業界はもっと大変なことがよくわかるエピソード。


仲畑&らも、仲の良い2人には鬱病という共通点があった。トークは仲畑さんの鬱病体験談へ。
「原宿のセントラルアパートに糸井重里の事務所があってね。一階の喫茶店で糸井と話してたら、突然何がなんだかわからなくなった」
「死にたくてしょうがない。ホテルに泊まる時もわざわざベッドを窓から遠くに離してもらったりした」
仲畑さんいわく、鬱はいきなりドーンとやって来るというのだ。

そんな時、どうすればいいのか?
鬱病のオーソリティー中島らもから解決策の提案が。
「鬱になるくらいストレスが溜まったらどうすればいいかと言うと、野蛮なことをすればいい。等身大の仲畑人形ってのを作って金属バットで『この仲畑めーー!』とか喚きながらボロボロになるまでどつくとか。そういうことをすればわりと簡単に発散できる」
「道を歩いてて、すぐに人をどつきたくなる衝動ってそれかな?」
らもさんの提案を聞き、いきなり物騒なことを言い出した仲畑さん。
実は広告業界では「ケンカの仲畑」の異名を欲しいままにしてきた武闘派コピーライターとしても有名。クライアントともケンカをするし、ストリートファイトで街の与太者もボッコボコにする。
若かりし頃は、仕事でもプライベートでもケンカしまくりだったらしい。

  1. 1
  2. 2