らもはだ日記

1987年10月。

「絶対に就職したほうがええよ」
来春に大学を卒業する段になって、らもさんに強くすすめられた。
フリーの物書きになるのは、いったん会社に入って理不尽な目にあって人生経験を積んでからでも遅くないと、ありがたいアドバイスをしてくれていたのである。
「就職かぁ」
アホなオレは、らもさんの忠告を無視。就職なんて全く考えていなかった。
それが証拠に夏休み明け、大学のキャンパスに行って驚いた。皆、リクルートスーツ姿だったのだ。
そりゃ就活シーズンだから当たり前なのだが。オレはその時、リリパット・アーミーで僧侶の役をした後だったため、頭はスキンヘッド。つるっつるの坊主頭であった。
「お前、その頭で就職活動する気か?」
同じゼミの友人に呆れられたのを覚えている。

結局、なし崩し的に「フリーライター」を名乗ってライター活動がスタート。
しかし、レギュラーは地元のタウン誌の月イチ1本5千円のエッセイのみ。完全に開店休業状態で、金が無くなると日雇いの清掃のバイトに出て口に糊する日々。本人はいっぱしの物書きのつもりだったが、傍から見れば完全にプータロー。
「この人、何してんのかしら?」
世間的には謎の存在であった。
そんな暮らしぶりなもんだから、当然住むところも最低。家賃1万3千円風呂無しトイレ共同築50年の超おんぼろアパート暮らし。
商売道具として、レンタルでかろうじて電話は引いていたが、もちろんどこからも原稿依頼の電話なんてかかってこない。
アパートの名前は、大家が住人の幸せを願ったものか「幸福荘」。しかしその願いも虚しく、オレも含めて住んでいる人たちは「働くことが大キライ。食えるだけの最低限の金がありゃそれでいい」了見のダメ人間ばかり。

しかもオンボロ具合が半端なかった。
玄関の扉がベニヤ板。
自分の名前を書いた紙を表札代わりに画鋲で貼ったら、その画鋲の先が扉の向こう側に飛び出てきたのには驚いた。画鋲の先ほどの厚さもない薄さの扉って。
もちろん、部屋の壁も薄い薄い。
隣の人がくしゃみをすると、すぐ耳のそばでやられたように響く。

実はこれが親元を離れて初めての一人暮らし。トホホな環境ながらそれなりに夢と希望を持って生活していたのだ。そう、アイツが襲来するまでは。


とてもとても暑い真夏のある日。アイツは突然、オレの隣の部屋にやって来た。
その日はうだるような猛暑。クーラーなんて買う金もなく、蒸し風呂のような四畳半で、気分だけでもトロピカルにしようとラジカセで大音量でレゲエを聴いていた。
「ん?なんか、ヘンなコーラスが…」
レゲエのジャマイカ語の歌詞に混じって、何やらおかしな呪文のようなコーラスが聴こえてくる。イヤーな予感。
ま・さ・か。
ラジカセのボリュームをそっと絞ると、薄すぎるアパートの壁越しに、低く、しかしハッキリとした声でお題目が!

ナムミョーホーレンゲキョー、ナムミョー
ホーレンゲキョー………。

アパートを借りる時に友人から忠告されていた。特に安アパートの場合、隣に"ヤ"のつく自由業か宗教カンケイのややこしい住人がいないことをよく確かめておいてから入れよ、と。
でも「自分より後から入居して来る」パターンは予想外。
それからというもの「お題目じいさん」による、早朝から深夜に及ぶ嵐の「ナムミョーホーレンゲキョー」攻撃が始まった。
壁の薄さで、そのうるささたるやハンパじゃなく。
気が狂いそう。
たまにパタリとお題目が止む。見ると、どこへ行っているのか鍵もかけずにドアが開けっ放し。恐る恐る覗いてみたら、部屋の中に何もない。座布団1枚すらない。ガラン。

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