らもはだ日記

「鮫肌、また会ったね!」
まさか、ミーさんにロフトプラスワンの楽屋でそう言われるとは思っていなかった。
2004年9月11日。
トークイベント「らもはだ」最終回。
ガンジー石原が、リハで迷曲「人間はカトリセンコウ」をつっかえつっかえたどたどしく演奏するのをBGMに、松尾貴史、オーケンと「らもはだ」おなじみのメンバーが次々に楽屋入りしてくる。
司会のアトムさんが「なんか緊張するわあ」とウロウロ。
うん、本当にいつもの「らもはだ」の本番前の楽屋風景だ。

「最後の最後まで欠席するなんて、らもさんらしいな」
このトークイベントをスタートさせて3年半。中島らもの生き急ぐにもほどがある怒涛の50代につきあってきたキシモト嬢。ロフトプラスワンのプロデューサー、サイトウさんが作ってくれたウーロンハイを流しこみながら、キシモト嬢の誰に聞かせるわけでもないそんな小さな呟きを聞いていた。
そうやねん、あのおっさん、今日“も”欠席や。何回休んだら気が済むねん。

いつまで経っても楽屋に現れない中島らも。本日欠席。
プラスワンの楽屋にいつものようにギターケースを抱えて、フラフラとおぼつかない足取りでひょっこり顔を出しそうで。
ミーさんに会うなり「あれっ、らもさんは?」と聞きそうになって困った。


満員札止めの中、「らもはだ」最終回がスタート。司会のアトムさんの呼び込みのもと、各人がおのおのの形でらもさんを追悼するシンプルな構成。
トップバッターは記念すべき第一回目のゲスト、ガンジー石原。
らもさんが「きのこが生えてきそうな鬱陶しい歌」と評した「人間はカトリセンコウ」を熱唱。
沁みた。
こんな鬱陶しい曲は無いはずなのに。なぜか沁みた。

お次はオレの番。うちのバンド捕虜収容所のギタリストを高砂から今日のために上京させて、代表曲「チンコマンコ音頭」をパンク弾き語りでシャウト。お客さんと「チンコマンコ」のコール&レスポンスの嵐。
不謹慎なまでのバカ騒ぎで、らもさんを送った。

3人目は、松尾貴史。ガンジーさんとオレも加わって「らもさん思い出トーク」。
自他ともに認める「中島らもの弟子」が語るらもさんとのエピソード。
「ほんとにらもさんは、不思議な人でした。おためごかしじゃなくて、弱者に対して優しい人で、その場にいる立場の弱い人をさり気なく助けてあげたり……そういうところ、ありましたね。友達だからギャラにしろ何にしろ、安く使う文化が日本にはあるでしょ。そういうことをいつもものすごく怒ってらして。『そんなん友達違う。友達やったらもっと良い条件で仕事を回すのが筋なんちゃうか』って。それが正論だと思いますけど、それってなかなか出来ないじゃないですか。それをらもさんは自分で全うしてはりました」

「リリパット・アーミーの頃、1年365日、毎日毎日らもさんに奢ってもらってました」と、オレ。
「僕も同じようなもんです。でも、一回だけらもさんに奢ったことがある。らもさんのスキをついて支払いを済ませたんですよ。その日、タクシーで送ってもらったんだけど、僕が降りた途端、らもさん、『今日はごちそうさまでした』って土下座しはるんですよね。もうそんな仕返しいらんわ、二度と奢らんって思いました」
まったく、らもさんらしいや。


3年半前。ジリジリとクソ暑かった真夏の一日。新宿のホテルに呼び出されて、まだどんな形にするのか何も決まっていない中、行われた「らもはだ」第一回目の話し合い。
久々にらもさんに会えると能天気に出かけたオレの前にいたのは、何を話しかけても1ミリも動かずに無反応の物体だった。
今思えば、鬱病の真っ只中、大量のクスリをキチガイ主治医に間違って処方されて廃人寸前の頃。

鬱病から一気に躁転。
「もう50代は好きなことしかしない!書きたい小説書いて、演りたいロックをやる。やっと自由になった」宣言。
「らもはだ」もロックモードのアオリを受けて、トークそっちのけで、半分以上ロックンロール・セッションになった時期もあった。
あげくの果ては楽屋でスパスパ大麻を吸いだして、ついにお縄。
幸か不幸か、オレは「らもはだ」という舟に中島らもと一緒に乗り込んで3年半、翻弄されるがままだった哀れな一水夫として、船長不在のこの最後の航海を看取っている。

「らもはだ」最終回も中盤に差し掛かったところで、ようやく「らもさんが、死んだ」実感がジワジワとこみ上げてきやがった。
全く最後までダメ水夫だ。
中島らも原作の映画「お父さんのバックドロップ」主演の宇梶剛士さんが飛び入りしての思い出トークの後、女優の藤谷文子さんによる、中島らも正真正銘の処女作「全ての聖夜の鎖」の長い長い朗読。

「今日は、らもさんの作品を朗読させていただきます。実は私も小説を書いたりしているんですけれど、らもさんに出会ってすぐの頃、私の処女作『逃避夢/焼け犬』を送らせていただいて。それからすぐにらもさんは捕まったんですけど、拘置所から何通も手紙をいただいてたんですね。手紙には私の小説の感想と一緒に『子供の目のうちは石ころも大きく感じるんだ。きみはそのまま生きていくと十年ももたないぞ』といったことも書き添えてあって。で、『これを読んでください』って同封してあったのが、今回、朗読させていただく『全ての聖夜の鎖』という作品だったんです。それは、らもさんが印刷会社に勤めていらっしゃった25歳のころ、自分で書いて、会社の目を盗んで自分で印刷した純文学の作品で。らもさんは、みんなに楽しく過ごしてもらいたいと願う……そういう方なので、今日この作品を読むべきかどうか迷ったんですけれど、らもさんが初めて自分の気持ちを形にしたものなので、心を込めて読ませていただきたいと思います」

中島らもを名乗る前、フーテン仲間内での通名だったらもん名義で書かれた作品。
初めて読んだ時、あまりにも真っ正直でエンターテインメント性のかけらも無いピュア過ぎる文体に面食らった「全ての聖夜の鎖」。
らもさんのリリカルで美しい言の葉が彼女の口元からキラキラと放たれていく。
照明が薄暗く落とされて、藤谷文子さんの声だけが会場に響いた。
らもさんの「気配」を感じた。どこかで見てる。
そして、中島らも欠席の際いつも助けてくれた「らもはだ」の名助っ人、オーケンのライブ。あえていつも通りで、「まったく困ったオジサンですよねぇ!」とジョーク混じりで淡々と歌うことが、逆に中島らもへの正しきレクイエムになっている気がした。


楽屋で、松尾貴史が泣いている。いや、号泣といっていい。オーケンの歌が流れる中、嗚咽している。
「泣いてどうするんですか!今夜は大笑いして、らもさんを送るんでしょう!?」
泣きの涙の松尾貴史をそう言ってたしなめていたオレだったが。

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